メッセンジャー:仁科宣雄師
「上にあるものを求めなさい」 (コロサイ人への手紙 3章1~4節)
エペソ教会で救われた信徒エパフラスによってコロサイの教会が生まれました。が、教会の中に偽教師が入り込んできて天使礼拝や儀式・律法主義などの思想を教え、本当の福音からそれていく者が出てきました。相談を受けたパウロは手紙を書き、教えます。
Ⅰ.かしらなるイエスキリスト
パウロは、イエスが世界が創造された初めから父なる神と共に存在していた「神」であることを確信させ、この地上に遣わされたその働きを明確にします。イエス・キリストは、全ての人の心に寄り添い、私たちを丸ごと愛してくださる神を示し、罪を示し、救いを示されました。イエスご自身が全ての人の罪の身代わりとなって十字架の罰を受け、死に渡されたが、その死に勝利してよみがえられた救い主です。「あなたがたのいのちであるキリスト(:4)」というように私たちの命はイエスが命を懸けて生み出してくださった新しい命なのです。パウロは、このイエスが「かしら」であり、「からだ」である私たち教会は、そのイエスのみこころを行うように導かれていると教えます。
Ⅱ.私たちクリスチャンの命
①死んで甦った新しい命…私達はこの世にあって霊の命をもって生きる者とされました。
②隠されて守られている命…この世での戦いが厳しいことをご存知である神は、わたしの民であるあなた方の命は何があっても守ります。決して滅びることのない命の保証が天に隠されているのだから、この地上での生活に励みなさい」とおっしゃるのです。
③キリストと共に栄光のうちに現れる命…イエスが再び来られる時、私達の朽ち行く身体は、栄光の身体に変えられ、永遠にキリストと共に生きることができるのです。
Ⅲ.上にあるものを求めて歩む
パウロは、キリストと共によみがえらされ、新しい命をいただいた。だから「キリストが神の右の座についておられる『上』を見上げ、『上』にあるものを求めよ」と呼びかけます。「求める」とは「願う」だけでなく、意志と努力を用いて行動しなさいと言うことです。下を向いていては涙がこぼれるだけだから上を向くのではなく、上には神の備えられた「永遠の祝福」である主イエスがおられるから、上を向いて、その祝福をいただきなさい。と言われているのです。パウロは、「主よ、わたしの主よ、いつも一緒にいてください」と、望む時も望まない時も、「自覚して」主の臨在を求めなさいと言われるのです。 私たちは、私たちの行動はすべて脳からの指令であることを知っています。人間の本能とは?と考えた時、本来は神のみこころと同じはずでした。それが、アダムとエバの罪により、生まれもって「罪」をもつ者となったのです。本能のうちに罪が潜んでいるのです。しかし、その罪に死んで甦らされたというわけですから、かしらなるイエスのみこころを思い、生きることが可能とされているのです。 私たちが人間関係において心で思うこと=本音をそのまま口に出すことが、良いか悪いか・・・それを正しい判断をでき得る神に真剣に求める時、主は、一度自分の思いから解放することを導かれ、主の考え方を見せてくれるのです。その考え方というのが、福音書にあるイエスと人々の生活の中に表されているのです。
結 論
主の教会はいつの時代も多くの声に惑わされます。聖書は霊において完全ですが、人の目から見ると矛盾や間違いも見えるのです。しかし、霊的に生きる恵みをいただいた私達が主のみこころに歩む時、主のご真実が表されるのです。主の使命を受けた教会として世の人々に命の道を示し続けていきましょう。 |