2023年12月3日 アドベント第一主日礼拝メッセージ 「預言の成就」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「預言の成就 ~ザカリヤへの御告げ~」    (ルカの福音書 1章5~23節)

「アドベント」とは「来る」という意味です。救い主イエス・キリストの誕生を心から待ち望むと共に、もう一度「私たちを迎えに来られる」主を待ち望み、備える時としましょう。

Ⅰ.御使いのお告げ(5〜23節)

祭司ザカリヤは、妻エリサベツと共に主の前に正しい人でしたが、子どもがいないという悲しみを背負っていました。それは、人格を無視されて生きる「不幸」とも言える人生でした。そのザカリヤは「神殿で香をたく」という一生に一度あるかないかの大切な務めにくじで当たりました。彼がこの日を人生最良の日として喜び、務めを全うしようとする中で、神の前に震えおののきつつ、個人的な悲しみについて神に祈ったことは想像できます。 彼が神殿に入って香をたく奉仕をしていると、主の使いが彼の前に現れました。突然のことに恐れるザカリヤに、御使いは「ずっと与えられなかった子どもが与えられる。その子は、人々の心を神に立ち返らせ、間もなく来られる救い主のために整えられた民を準備するという、特別な使命を与えられている」と告げたのです(:13∼17)。ザカリヤは、驚くと共に、「それを何によってわかりますか?」と信じることができず、問い返します。御使いは、そのしるしとして、子どもが生まれるまで口がきけないようにされたのです。 このことが神殿で起きたことを覚えましょう。神は生活の中にも表れてくださいますが、神のご支配の前に厳粛な思いで、心にある切なるうめきをもってひれ伏す時、確かに表れてくださるのです。1週間のうちの貴重な時間をささげているわけですから、この時こそという思いをもって神に近づき、神の御声を聞くことができるように耳を傾けましょう。

Ⅱ.「沈黙」の中で…ヨハネの命名   (57∼66節)

10ヶ月後、エリサベツは男の子を産み、人々も共に喜びにあふれます。人々は慣習通り、その子に父の名をつけようとしましたが、エリサベツは「名はヨハネ」と強く、断定するのです。口のきけないザカリヤの決断がエリサベツに伝わっていたのです。彼は口がきけなくなったことが神の罰ではなく、信仰を整えるための時間であったことを悟ります。男の子が生まれたことで、二人は恥を拭われ、家系継承をもたらし、当人も周囲も安堵の喜びに包まれた事でしょう。しかし、彼らは自分たちの名を残すことよりも、わが子が「ヨハネ」として、神の使命に生きることを選んだのです。その時、ザカリヤにことばが戻り、開口一番、神を賛美しました(68∼79)。人の考えや常識ではあり得ないことであっても、神は実現する力のある方であることを思い知ったのです。

Ⅲ.マラキの預言   (マラキ3章1節、4章5~6節)

マラキは旧約聖書の最後の預言者です。イスラエルの民たちの信仰は、先にハガイやゼカリヤが約束した神の栄光が到来したとは思えず、ペルシアの支配下という苦しい状況の中にあって懐疑的になっていました。マラキは「主の日」には悪人と正しいものが分けられる、神の栄光にあずかるために生活を清めるようにと迫り、神が民を清めるために使者「エリヤ」を送ると預言します。ザカリヤは、御使いのことばに従い、わが子が主の道を備える預言者、先駆者となるという神のご計画に仕える喜びが与えられたのです。

結  論

2023年前、救い主としてこの世に来られたイエス様は天に帰られ、今、私たちはその姿を見ることはできません。しかし、その主がもう一度、主を信じる私たちを迎えに来られると約束してくださっています。アドベントを迎えて、私たちは「再臨の主」を待ち望む信仰に堅たてますように、主の救いのご計画に用いられる者とならせていただけますようにと、神の御前に祈り求めてまいりましょう。    

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