メッセンジャー:仁科宣雄師
「 羊飼いの礼拝 」 ( ルカの福音書 2章 1~20節 )
今は世界のニュースを見ることが容易になり、一つの命の誕生にも各国様々な背景を見ることができます。2000年以上も前に生まれたイエス様の誕生を心待ちにし、お祝いできたのはわずかな人々でした。が、イエス様の誕生日をクリスマスとして世界中で周知され祝うことは、ある意味での驚きです。私たちは神のご計画による、恵みの日としてのイエス様のご降誕を心からお祝いいたしましょう。預言者マラキ以降の約400年、神のことばはなくローマ時代に至ります。帝国の支配の中、政治的にも霊的にも行き詰まりを覚える一方、神はイスラエルを愛し続けておられ「時が満ちて」約束の救い主としてのイエスが誕生したのです。
Ⅰ.飼葉桶に眠るイエス (2:1~7)
人間社会に生きる者にとって法令に従うことは必須です。出産を目の前にしたヨセフとマリヤは、住民登録のためベツレヘムへの100キロの旅を余儀なくされました。その地に着いたものの泊る所は見つからず、やっと探し当てたのは馬小屋でした。そこで「時が満ち」、マリヤは男子の初子を産んだのです。飼葉桶に寝かされたイエスは「人の子」として、ひっそりとお生まれになりました。飼い葉桶は、汚く貧しい私たちの心を表しています。
Ⅱ.暗闇に響く御使いの知らせ (2:8~14)
その夜、羊飼いたちが野宿をして羊の番をしていた所に突然眩しい光が差し込み、御使いが現れ、恐れる羊飼いたちに「恐れるな、見なさい、大きな喜びを告げる…あなたがたのために救い主がお生まれになった(:10、11)」と告げます。そして、天使たちの軍勢が現れ「天に栄光、地に平和」と賛美が鳴り響きました。当時の社会、羊飼いに対する評価は低く、住民登録の対象外であり、安息日の礼拝にも集えない不信仰な者、無学な者とされていました。そんな彼らに神は、皆が待ちわびていた喜びのニュースを一番に教え、それを人々に語る使命を与えてくださったのです。
Ⅲ.羊飼いたちの礼拝 (2:15~20)
羊飼いたちはベツレヘムへと急ぎ、飼葉桶に寝かされている「みどりご」を捜しあて、この「みどりご」について御使いから告げられた主のことばを伝えます。人々が驚く中、マリヤはこれまでのすべてを心に留め、思いを巡らせるのでした。羊飼いたちは、再び「羊飼い」として厳しい現場に帰って行きます。その心は「神をあがめ賛美しながら」喜びに溢れていました。「自分たちに語られたことが『見たとおり聞いたとおり』であった」からでした。実際、私たちはこの目でイエス様の誕生を見てはいません。しかし、誕生にかかわるこれらの出来事を信仰によって見聞きすることができるように、聖霊が働いてくださるのです。「安息を、希望と慰めを、新しい命を与える」と言われる主のことばに「その通りでした」と感謝と喜びをいただいているでしょうか?
結 論
私たちはこの救い主を信じてすべての罪を赦されましたが、生きているうえで様々な罪を犯す者です。神の前に閉ざされている1点があるならば、その暗闇から救うためにこの世にお生まれくだった神からのプレゼント「イエス」を、今日この目で見させていただきましょう。そして、心から主を賛美し、礼拝し、救い主としてお生まれ下さったイエス様の誕生を告げ広めてまいりましょう。