2023年11月26日 主日礼拝メッセージ 「罪赦された感動と行動」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「罪赦された感動と行動」          (ルカの福音書 7章 36~50節)

社会では罪に大きい小さい、重い軽いがあります。キリスト教も教派によってこれは大きな罪、それは小さな罪との見方があり、多くは意図的か否かが問題になったりします。しかし、人が作った基準の中で「罪」と向き合うだけでは、真の解決には至らないのです.

Ⅰ.パリサイ人シモンの家で    (36∼38節)

①パリサイ人シモン…イエスを家に招き、食事を共にします。イエスを陥れるためではなく、イエスのことをよく知りたいと思ったのでしょう。ただ、イエスのような巡回教師を食事に招くことが自分の功徳になると考え、同時に人々から称賛を得るためでもありました. ②イエスに会いに来た女性・・・そのもてなしの席で、一人の女性がイエスに近づき、驚きの行動に出たのです。この女性は多くの罪を犯し、汚れた女とレッテルを貼られ、世間から拒絶されながら生きてきたのです。その扱いを受けてしかるべきと承知しつつも、悲しみと苦しみの涙を流しながら生きてきたでしょう。しかしこの日の涙はまったく別の涙でした。彼女は、イエスが罪を赦す権威をお持ちであることを知っていて、自分の罪もイエスによるならば赦されると信じたのです。そして、赦されたと確信した彼女は、感謝と喜びを何とかしてイエスに伝えたいと一途な思いでシモンの家にやってきたのでしょう。イエスに近づき、感情を抑えきれずに激しく泣きだした彼女は、ほこりまみれのイエスの足をその涙で洗い、髪の毛でぬぐい、足に口づけをして、香油を塗ったのです。それは最高の感謝とヘりくだりを意味します。また、この時のためにと準備してきた高価な香料を少しも惜しいと思わず、注ぎかけたのです。これまで自分を縛り付けていた悲しみや苦しみから解き放たれ、イエスに対する心からの感謝と愛がこの行動へと駆り立てたのです。

Ⅱ.多く赦された人の行動      (39∼50節)

イエスは、シモンの心の中、女性の心の中をよくご存じで、シモンにたとえを用いて、「借金500デナリと50デナリ、金貸しはどちらの借金も帳消しにしてやった。どちらがより感謝し、金貸しを愛するか」とシモンに問い、今、同じ家の中にいるあの女性とシモンとで、どちらが多くの借金=罪を帳消しにしてもらった人になるかに気づかせます。女性は過去の大きな罪を自覚していました。彼女は自分のどうにもならない罪をイエスが恵みによって赦し、帳消しにしてくださることを知ったのです。そして自分の身に起こったあり得ない恵みを驚き、喜び、感謝したのです。 イエスは彼女をずっと罪人と決めつけるシモンに対し、「彼女の罪は赦されています」と、確認し、さらに、彼女に「安心していきなさい」と新しい生活を保証されたのです。

Ⅲ.神の前にある「罪」の赦し

罪の意識は人が作り出した律法の中で大きく変わります。罪の基準は、神の前、今の時代は聖書にあるのです。パウロは人と比べたのではなく、過去の自分を反省してでもなく、神の聖さに照らされる中で、過去も現在も含めて「わたしは罪人のかしらです」と告白しています。ボリビアで伝道した山畑勝美牧師は、戦争を体験した中で自ら犯した罪ではない、良心に示された「罪」意識を背負い苦しみますが、それを救ったのが捨てられるはずの聖書によるものだったのです。罪の解決は必ず「愛」の行為に繋がるのです。

結  論

イエスによって罪赦されたこの喜び、この涙を私たちは忘れてしまっていないでしょうか。失っていないでしょうか。主は今も十字架による贖いを与え続けておられ、私たちはそこに生かされているものです。周囲の誰彼の評価で一喜一憂するのではなく、神と私の関係から来る喜びを日々新たにし、生かされてまいりましょう。

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