2024年7月14日主日礼拝メッセージ「汚れた霊を追い出すイエス」

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「汚れた霊を追い出すイエス」        (マルコの福音書 5章1~20節)

本日の御言葉(マルコの福音書 5章19節)
 あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きな
ことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。

聖霊、心霊、怨霊、亡霊・・・様々な霊がありますが、私たちの目に見えなくても存在する霊の存在を正しく知って、自分の力となることを学んでいきましょう。

Ⅰ.人の内に住む神の霊と汚れた霊   (5章1~8節)

 イエスたち一行は、異邦人の多く住む地=「ゲラサ人の地方」に着きました。一行を出迎えたのは「汚れた霊にとりつかれた人」でした。身体の中に住み着いた悪霊によって、墓場に追いやられ、監視され、鎖につながれての生活…日夜叫び続け、自分の身体を石で打ちつけるこのゲラサ人は人々を恐れさせるだけの人生でした。その彼が、走り寄ってイエスを「神の子」と叫び、拝します。イエスにある神の霊を見出したのは、敵対する悪霊だからこその眼力でした。
 このゲラサ人は、イエスの「汚れた霊よ。この人から出て行け」とのことばを聞いて、「私とあなたは何も関係はない。神によって願う、これ以上私を苦しめないで!」と、イエスと関わることを強く拒否するのでした。これが人の罪の姿です。
 全世界を造られた神は、最後に人を造られましたが、人だけが神の霊を吹き入れて生きる者とされました。全ての人に神の霊が宿っているのです。聖なる神の霊を否定し、排除するならば、目に見えない汚れた霊に支配され、自分の思いに反して生きなければならない、心の奥で叫び続ける人生といえるのです(ローマ7章18節~21節)。

Ⅱ.一人のたましいを追い求めるイエス     (5章9~13節)

 イエスは彼に関わります。そのためにこの地に来たのです。このゲラサ人の名前は「レギオン」。もともとローマ軍の大人数の部隊のことで、彼はローマ軍のユダヤ人に対する残虐行為に対しての苦しみ、怒りが原因で発狂したとも考えられるのです。ゲラサ人に住む悪霊は、「せめて豚の群れの中に入れてくれ」と懇願し、イエスもそれを許され、霊が入った豚たちは崖から海へとなだれ落ちるのでした。豚の飼い主にとっては大損害です。しかしこの時、イエスが教えようとされたのは、神の御力による「人格の回復」は、何物にも代えがたいものということです。現在の私たちも同じです。何か理不尽なこと、自分の想定外のことがおこり、自分の中の歯車が狂ってしまうのです。そこに悪霊は入り込みます。神の御声を聞かせようとしても自分をコントロールできなくなり、滅びへと向かってしまうのです。神はそんな私たちのために愛する独り子イエスキリストを惜しまず、十字架の死を通して罪に縛られた私たちを救う道を開いてくださいました。

Ⅲ.軽やかな帰郷    (5章14~20節)

 人々は大声で騒ぎ立て集まってくると、そこには、ゲラサ人が、一人静かにイエスの足元に、きちんと衣服を整えて座っているのです。人びとは、一人の人の狂気を正気に戻す神の権威に触れ、怖れおののき、この所から出て行ってほしいと懇願しますが、反対にゲラサ人は、この主のみもとにある静けさの中に生きたいとイエスについて行くことを選びます。しかしイエスは、彼に「自分の身に起きた大きな出来事、主の憐れみを知らせなさい」と家に帰らせるのでした。

結   論

 かつて、この世のものとは思えないような大声をあげながらこの家を出て行ったこの男性が、静かに自分の身に起こった喜びを語るその言葉は、説教(20節)=福音となって家族の心に届いたでしょう。嵐を静め、汚れた霊を追い出す神のことばには力があることを覚えつつ、共に主にある恵みを勝ち得てまいりましょう。

アーカイブ

目次