2024年8月18日主日礼拝メッセージ「苦難から導き出す使命」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「苦難から導き出す使命」           (出エジプト記 3章1~14節)

本日の御言葉(出エジプト記 3章12節)
 わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。
 このわたしがあなたを遣わすのだ。

困っている人々を助けるヒーロー・・・、それは、身近な所にいて、日常生活の苦楽を共に味わっているからこそ、その苦しみから助け出したいと思うことができるのです。

Ⅰ、モーセの逃亡、契約を思い起こす神     (2章11~25節)

 殺されるはずだったイスラエル人(へブル人)モーセは、神のご介入によりエジプトの王の娘を通して助けられ、王子として育てられます。が、モーセは自分の同胞であるイスラエル人の過酷な労働、立場に心痛めるのでした。40歳の時、目の前でイスラエル人を苦しめるエジプト人を見た彼は正義と愛国心で奮い立ち、そのエジプト人を殺してしまいました。そして証拠隠滅。王子の立場がある自分ならば何とかできるという自負心が衝動的に行動させたのでしょう。この一部始終を見ていた同胞は、日ごろから何の苦しみもない王宮にいるモーセを同胞と認めてはおらず、この事件を機に彼を拒絶したのです。さらに彼の殺害が王に知られ、命を狙われることとなり、モーセは一切を捨ててエジプトから逃げ出しました。荒野をさまよい、ミディアンの地にたどり着きます。そこで40年、祭司レウエル(イテロ)に仕え、結婚もして羊飼いとして過ごすのでした。
一方、エジプトでは王が代わりますが、重い労働に苦しむイスラエルの民は、神に嘆き続けます。神は民の嘆きを聞き、「民との契約」を思い起されるのでした(2:23~25)。

Ⅱ.神の顕現とモーセの召命     (3章)

 モーセ80歳・・・ある日、神の山ホレブで、柴が燃え尽きない不思議な光景を目にし、柴に近づくと、「モーセ、モーセ」と呼ぶ声がします。返事をすると「靴を脱ぐように」と命じられました。神はこの所が神の臨在なさる聖なる場であることを示されたのです。神が真ん中におられる所は決して燃え尽きないこと、滅びないことを覚えましょう。 
 そこで神は、「エジプトで苦しむ同胞たちを救い出せ」との使命をお与えになりました.モーセは40年前の挫折感、虚無感を思い出します。今の平穏な生活の中で当時の正義と愛国心は忘れかけられていたでしょう。また、エジプトで今の自分の存在を同胞たちは必要とするのか…今頃神の働きに駆り出されるとは…「いったい私は何者でしょう」と、神に問います。戸惑うモーセに神は「わたしが共にいる。わたしが遣わす。」と、それは単なる使命ではなく、神の代行者としての「召命」でした。神はモーセの不安に答え、モーセたちイスラエル人が信じる神は、過去、現在、未来において「『私は有る』という者である」と確信を与え、エジプトで何をすべきか、何を語るべきかの具体的な言葉を与え、神の民がモーセに聴き従うことまでも告げます。

 

Ⅲ.神の具体的な励まし     (4章1~20節)

 しかし、モーセは泣き言を並べます。神は3つのしるしを見せ、神のことばが成就することを示します。それでもなお「自分は口が重い」と拒むのです。神は雄弁なモーセの兄アロンを備えておられ、モーセと共にエジプトへ遣わすことを告げられました。こうして神の臨在の約束を信じて、エジプトに帰ることを決断したモーセは、神の杖を手に取り、エジプトに旅立ったのでした。羊飼いとして「杖」の必要、その力は身に染みていました。愛する羊を悪から救うため、40年を用いて神が訓練されていたのです。

結 論

神は、思いがけない時に神の働きに遣わしたいと、私たちの名前を呼んでおられます。自分自身が真の牧者に導かれてきたことを覚える今、自分の思いをささげて、迷いの中にある一人が、苦難の中にある一人が救われるために、神の霊に満たされて遣わされてまいりましょう。

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