2024年9月8日主日礼拝メッセージ「日ごとの糧を求める祈り」

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「日ごとの糧を求める祈り」         (出エジプト記 16章1~12節)

本日の御言葉(マタイの福音書 6篇11節)
 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。

例年にない米不足が「令和の米騒動」と呼ばれ、国の政治・経済のあり方が叫ばれています。神様の恵みによって生かされていることを知る私たちは、主が教えてくださった「主の祈り」の力を信じて、心を込めて祈らなければと思わされる毎日です。

Ⅰ.現実から目を上げるように導かれる主     (16章1~12節)

 エジプトを脱出したイスラエルの民は、すぐさまエジプト軍に追いかけられ絶望的と思われる中、神が海の中に道を開いてくださり、皆が渡り終え、エジプト軍は滅ぼされるという神のみわざを見ました。喜びと神への信頼をもって旅を進めますが、岩と砂ばかりの過酷な毎日が続きます。雲の柱なる主を見上げていた彼らの目は、次第に現実のことに向けられ、「食べるものがない。こんなことならあのジプトでおなか一杯の時に死んでいた方がましだった」と、また過去にとらわれ、その不満をモーセとアロンにぶつけるのでした。
 民の不満を聞かれた主は、その口を閉じさせるのではなく、さらに広く開けさせます。「夕方には肉を与え、朝には天からのパンを与えて、民を満ち足らせる」との約束です。
 神はこのことを通しても、ご自身が主であることを民が知ることを望まれました。さらには、主は語られたこと、約束されたことを決して破らない真実なお方、恵み深いお方であり、民の必要の全てをご存知で満たすことのできるお方であると知らせようとされます。

Ⅱ.神が与えられた日ごとの「マナ」     (16章13~36節)

 その日の夕方にはうずらの大軍が宿営をおおい、民は肉を食べることができ、翌朝には霜のような薄くて細かい白いものが天からおりました。民はそれを「マナ」と名づけました。
 神は天から降りるマナに関して、①毎日、その日に食べる分だけを集めなさい ②6日目は翌日の聖なる安息日に備えて、2日分を集めなさい。と命じられますが、ある者たちは、その言葉に従わず翌朝までマナを残しておくと、マナには虫がわき臭くなりました。ただ、6日目に翌日の分もとったマナは臭くもならず、虫もわきませんでした。また、7日目にも集めに行く者たちがいましたが、マナが降りることはありませんでした。安息日に何もしてはならない(16:28,29)と命じられる神は、その日に必要な物をすでに備えていてくださるのです。主は単に民たちの空腹を満たされたのではなく、マナを通して、日毎に主のことばに従うことを学ばせようとなさったのです。神の口から出ることばに信頼し、神のことばどおりに生きる。これこそ、民が荒野で生き抜くための唯一の道でした(マタイ4章4節)。
 信仰の先輩方は、日曜日を主の日とし礼拝厳守するために多くの犠牲をささげてきましたが、それは喜んでささげられた犠牲でした。それが今日では、あやふやになっているのが現状です。「安息日を聖とせよ」同時に、「主のよみがえられた、主の日」の意味を自分と神様の間で考え、祈り、心から聖別して献げる恵みを覚えていきましょう。

Ⅲ.「いのちのパン」を食する恵み

 イエスのもとに集まる群衆は、この荒野での奇跡を引き合いに出して、「あなたがメシアならその証拠を見せてください」と迫った時、イエスはご自分が天から下ってきた「いのちのパン」であるとおっしゃいました(ヨハネ6章48節)。天の父に遣わされて天から来た私を信じるなら、決して飢えることも乾くこともないと答えられ、全ての人に永遠のいのちを持ってほしいと、十字架の道を選ばれ、実行されました。

結  論

神は「いのちのパン」であるみことばによって、私たちの霊の目を開き、現実の背後にある神の恵みを見せてくださり、解決を与え、生き抜く力を与えてくださいます。毎日「主の祈り」をささげ、神のことばに生かされる社会を祈り求めてまいりましょう

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