2024年10月27日 主日礼拝メッセージ 「みこころを祈る」

メッセンジャー:仁科早苗師(日本イエスキリスト教団 灘教会牧師)

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「みこころを祈る」            (マタイ 6章10節)

本日の御言葉(マタイの福音書 6章10節)
 みこころが天で行われるように、地でも行われますように。      

「みこころ」という言葉とじっくり向き合いたい。「みこころ」とはなにかを選択うること。特に人生の岐路に立った時祈る。パウロは、「何を食べるにも飲むにも赦されている。すべてのことを神の栄光のためにしなさい」と教えてる。選ぶことよりも、選んだあとに神様と一緒に歩めるかがみこころではないか。 「みこころがなりますように」とは「神さまの御意志が実現されますように」の意。聖書は、「神のみこころはあなたがたが聖くなること」(Ⅰテサロニケ4章3節)「わたしたちに、神の子たる身分をさずけるようにと愛によって定めてくださっている」(エペソ1章5節)と教える。みこころの土台は被造物の私たちが神の子の身分を受け取ること。そのみこころの実現のために神様は壮大な歴史の舞台を動かしておられる。みこころが天で行われるように地でも行われますようにと祈る。天は神さまのみこころだけがある場所。そこで実現しているみこころがこの地上でも実現しますようにと祈る。

ゲッセマネでイエス様は神さまのみこころを望まれた

イエス様は、嘆きと苦しみと涙のあと、みこころとイエス様の御意思が一つになられた。しかし、十字架は敗北でなく勝利だった。終わりではなく始まり。この日本は99%が神さまを知らない世界。そこに私たちは「みこころがこの地になりますように」との祈りによって神の国を拡大している。

ヨセフの人生も神さまのみこころが実現された

創世記45章4~5節、ヨセフは家族のもめごとの物語。「おそれることはありません。あなたがたは悪をたくらみましたが、神はそれを善に変えてくださったのです。」ねたみと裏切りから始まった物語はイスラエル民族を守る神の物語りであった。神様は、どうしようもない罪のゆがみをも圧倒的な力によってご自分の目的のために回復される。

御心を求めるのは父を敬い愛することから始まる

父のみこころを敬うには自らではなく神さまが働かれるスペースを造らなくてはいけ天のない。御国に入れない人々に対してイエス様は「わたしはお前たちを全く知らない」(マタイ7章23節)とおっしゃられている。

結 論

マタイ7章21節「わたしに向かって『主よ、主よ』という者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」とイエス様は言われる。Ⅰサムエル15章22節には「主は、全焼のささげものやいけにえを、主の御声に聞き従うほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従う事は、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」とある。みこころを知るには聖書を読む必要がある。祈る必要がある。御言葉が示されなければ従う事ができない。Ⅰテサロニケ4章3節「神のみこころはあなたがたが聖くなることです」あなたの生き方は聖さにつながっているか?みこころの言葉が出てくる箇所の文脈で読む者に問われるのは「信仰と忍耐。自分の願いではなく神のみこころがなされますように。の生き方を繰り返す。神さまのみこころは人の生き方によってなされていきます。そこには犠牲があり、涙の祈りがあり、献身がある。あなたが御言葉に生きる者になることがみこころが地になることの始まる。わずかずつでも昨日よりも今日、神さまのみこころを行なう者にならせていただこう。

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