2023年11月12日 幼児祝福礼拝メッセージ 「選ばれた私たち」

メッセンジャー:仁科栄子師

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「選ばれた私たち」             (マルコの福音書3章13~19節)

大人も子どもも夢中になって取り組む姿は、良いことも悪いことも他の人に大きな影響を与えます。真剣に取り組んだ事が良い実を結び、結果が出せるのは理想ですが、「よく頑張った!」と自分でも他の人からでも言われることを目標にすることが大事なことでしょう。最後にそのことばを言ってくださるのが神様です。

Ⅰ.12弟子を任命したイエス

父なる神様から聖霊を受け神の働きを進めるイエスは、みんなに期待に神の方法をもって応えていました。その原動力は一人になって父なる神にお祈りすることでした。多くの人が神様の救いを求めていることを知るイエスは、私たちの働きが広がるためにと、「弟子」を選ばれました。誰を選ぶべきかという問題を徹夜で祈り、神のみこころを求めたのです(ルカ6:12)。決して条件を並べて点数をつけるような形ではなく、人の心を知る神との深い対話、愛の中で行われ「ご自分が望む者たち(:16∼19)」が選ばれました

Ⅱ.選ばれた12人の弟子たち     (13~15節)

「使徒」に選ばれた彼らは、①この世の愚かで、弱く、取るに足らぬ、無に等しい者(Ⅰコリント1:27~29)…ユダ以外の11人はエルサレムから離れたガリラヤ出身で、エルサレム近辺の宗教的型にはまった人たちではなく、町の人たちからも「大したことのない人たち」と見下されていました。②過去も将来もご存じの上で…社会的に立場のない職業にあった人、将来自分を裏切り挫折をするであろう弟子たちをも必要とされました。 神はそんな弟子たちの心を見ておられ、彼らが、打ち砕かれ、主に立ち返ることを知っておられたのです。その信仰が失われないように守り、支えつつ、弱さに直面する弟子たちに主が真実の愛を注ぎ、「ご自分のそばにおいて」、ご自分の思いをしっかりと伝え、働きを見せ、教えを聞かせました。それは多くの人に、神様の救いを伝える宣教の働きのため、神の特別な力を与え、悪霊や罪に捕われた人々を解放するためでした。

Ⅲ.本当の弟子となった弟子たち

弟子たちはイエスと生活を共にする中で、イエスがどのような人をも救う救い主であり、人のことを愛せない人たちが喧嘩したり、自分を守るために人の物や心を盗んだり、うそを言ったりする罪の世界に、神の国を建て上げ「王」になってくれると信じてお手伝いをしていました。しかし、人の罪はそんな簡単なものではありません。イエスはすべての人の罪を赦すため、3年3カ月の公生涯を死をもって終えることになったのです。弟子たちは、次は自分たちも殺されるかもしれない…と驚き以上に恐ろしさに震え、みんなで逃げてしまったのです。そこに復活の主は現れてくださり、弟子たちに生前の主のことばがよみがえってきました。そして、証し人となる力=聖霊を与えられた弟子たちは、自ら「弟子の見本」となられたイエスに倣い、「捨てられた石」を礎として教会を建てていったのです. 弟子たちが結んだ実は、今の私たちです。12人それぞれ目立った働き人、ほとんど記録に残されなかった働き人…それぞれの持つ性格や経歴が主につながり続けることで生かされ、用いられて、私たちに神の救いが伝えられてきたのです。

結  論

神様は、私たちが何かができるから選ばれたのではありません。完成された人ではなく、本当に自分がもろい「土の器」であると、謙遜にその割れた状態を主の前に指し出せる人を選ばれるのです。日々、主にいただいた命を感謝すると同時に、新しくされた使命を覚えつつ、「よくやった。良い忠実なしもべだ(マタイ25:20、23)」とのことばを目標に、主を証しする機会を与えてくださいと祈り続けていきましょう。 

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