メッセンジャー:仁科宣雄師
「小さな者に目を留められる神」 (ルカの福音書 1章46~55節)
本日の御言葉 ルカの福音書 1章 46,47節
私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。
年末に向かい、様々なジャンルで今年のランキングが発表されます。頑張った成果が認められ、選ばれることは嬉しいことですが、普段していることが「目に留められる」ことはもっと嬉しいことです。神は、造られたすべての人を目に留めておられます。
Ⅰ.御使いによる恵みの宣言 (1章26~37)
ザカリヤとエリサベツに御使いが現れて6ヵ月目、御使いガブリエルがマリアのもとへ遣わされました。御使いは「おめでとう、恵まれた方」とマリアを祝福します。直訳では「喜べ」です。続いてマリアが男の子を産むことを告げ、その子を「イエス」と名づけるように命じます。ヨシュアが神の民を約束の地に導いたように、イエスは神の民を罪と滅びから救い、永遠のいのちへと導かれるのです。戸惑うマリアに御使いは、その受胎が聖霊によること、神には不可能なことはないことを告げました。
Ⅱ.恵みを受けたマリアの幸せ宣言 (1章38~45節)
マリアは「私は主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」と答えました。彼女の決心と覚悟が詰まっています。そのとおりになればマリアが「不貞の女」として、石打ち刑になるほどの重大事案であり、その道は苦しみの道、大きな犠牲を伴う道です。しかし、主のはしためとして主のことばに従うことこそ幸いと選び取ったのです。「今からのち、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう」と幸せ宣言です。
マリアは、御使いから不妊であった親類のエリサベツも神の約束の子を宿していることを聞いて彼女に会いに行きました。マリアの挨拶を聞いて、エリサベツの胎内でその子が踊り、彼女は聖霊に満たされ、①マリアの妊娠が神の働きによること②マリアの胎の実がメシアであること③エリサベツの胎児も主を認めていることを証言するのでした。さらに主のことばは必ず実現すると信じるマリアを幸いだと喜ぶのでした。
Ⅲ.マリアの賛歌 (1章46~56節)
①賛美(1章46∼50節)…「あがめる」とは、ギリシャ語で「大きくする」「偉大だと告白する」の意味があり、私ではなく、主の存在を大きくすること、声に出して告白することです。マリアは、御使いの言葉を耳で聞き、それを頭で考えても理解はできなかったでしょう。それを受け止めて感動を覚えたのは「魂」でした。霊や魂の存在を理解できるのは、特に霊感が強い人のことではなく、自分が神の御手の中にあることを知る人、神を恐れ、神の前にひざまずける人です。私たちは聖書のことばをどこで聞いてどこで受け止めるか…霊が喜ぶまでに神のみこころを受け止められるなら幸いです。
②神の国到来の宣言(1章51∼53節)…神の「義」の前には誰もが罪人であり、死刑の罰を受けるべき存在です。しかし同時に、神の「愛」の前には、誰もがイエスキリストを信じる信仰によって、罪赦され、恵みによって永遠のいのちを受けます。神の国にあっては、身分、能力、業績ではなく、恵みと信仰が全てを決めるのです。
③主の契約と預言の成就の宣言(1章54~55節) …代々の信仰者、王や預言者たちが待ち望んでも見られなかった日の到来を、貧しく、「無に等しい者」が告げたのです。
結 論
マリアの喜びは、「救い主の母」に選ばれた事にはなく、「たましい」「霊」が感じ取った主にある喜びです。すべての人は恵みと信仰によって幸せになれる、その喜びを知ったのです。私たちは、主の目に留められている「霊の存在」であることを覚えつつ、この世におけるサタンの誘惑に勝利し、賛美いたしましょう。