2024年12月29日 年末感謝礼拝メッセージ 「時代を超えて繋がる神の祝福」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「時代を超えて繋がる神の祝福」       (ルカの福音書 2章21∼38節)

 本日の御言葉 詩篇 103篇2節
  わがたましいよ 主をほめたたえよ 主が良くしてくださったことを 何一つ忘れるな      

赤ちゃんが無事に産まれた後、喜びが増し加わり、大きな力をもらえるように、わたしたちもますます救い主誕生の恵みに感謝し、力となっていくことを味わいましょう。

Ⅰ.律法に従うヨセフとマリア     (21∼24節)

イエスの誕生から一週間後、ヨセフとマリアは御使いに命じられた通り、幼な子を「イエス」と命名しました。40日後には律法に基づいて、イエスを主のものとして聖別してお捧げするために神殿に入りました。彼らは羊を飼う余裕がないほど貧しかったのですが、従順に律法に従ったのです。二人の従順によって、神殿での特別な出会いがありました。同じ時、神殿にシメオンが聖霊に導かれて来ていたのです。

Ⅱ.十字架を示したシメオン   (25∼35節)

 神の預言が途絶えてから400年、預言が語られることも信じる人も少なくなる中で、彼は救い主の到来を信じて待ち続けていました。自分だけでなく、神様を信じるすべてのイスラエルの民が、慰められるようにと祈り続けていました。
 彼の上には聖霊がおられ、生き生きとした神との交わりを持つ中で、「あなたはキリストを見るまでは決して死を見ることはない」という特別な約束が与えられていました。
 シメオンは、マリアに抱かれるイエスを一目見て「この幼子こそ、聖霊が教えてくださった救い主だ」と、腕に抱き、「私の目は主の御救いを見た!」とイエスを拝し、すべての人に救いをもたらす方、異邦人を照らす啓示の光であることを賛美しました。救い主を目にした彼は、待ち望む日々は終わり、救い主による支配、新しい時代の到来を確信し、安らかに死ぬことができると言い得るのでした。私たちは、「死」を前にして、安らかに主のもとに行くことができるよう、常に十字架の救いを確信し祈り備えていましょう。
 続く両親への祝福のことばは、神がシメオンに任せた大切な預言だったのです。イエスがイスラエルにとって、つまずきの石とも救いの石ともなることが暗示され、事実、多くのユダヤ人がイエスにつまずき倒れ、イエスを十字架で殺すのです。しかし、その捨てられた石が救いの石となり、イエスを信じる者は罪と悲惨から立ち上り、やがて復活する希望に生かされるのです(2章34節)。イエスの十字架の死は、「多くの人の心のうちの思いがあらわになる」=分岐点です。この十字架が「私のため」と信仰によって応答するなら救われ、2,000年前の話など自分とは関係ないと言い切るなら救いはありません(ルカ23章39節~43節)。これは神の厳粛な真理です。

Ⅲ.救い主の到来を伝えたアンナ     (36∼38節)

アンナも長い間イエスの誕生を待ち望んでいました。結婚して7年後、夫と死別します。その悲しみに信仰が働いて、神は彼女を預言者としたのでしょう。神殿にとどまり、「断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えて」いました。84歳になっても①礼拝を欠かすことなく(心を明け渡し)、②祈りをささげ(主の御声を聞き)、③「アンナ=恵み」という名前のとおり、あらゆることの中に神の恵みを見出していたのです。この恵みのサイクルに生かされ、目の前の救い主に出会った喜びを感謝し、共に救い主を待ち望んできた人々に確かな希望を語り伝えたのです。

結  論

救いの光とその知らせは、時代を超えて届けられました。どのような時代であろうと永遠のいのちに生かされる恵みの約束を感謝し、さらに救いが完成される「再臨の主」に出会うという大きな希望を抱きつつ、主のみこころを歩めるよう共に祈ってまいりましょう。

                     

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