2025年3月23日主日礼拝メッセージ 「自分自身のように愛する友」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

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「自分自身のように愛する友」      (サムエル記第一 20章1~11節)

本日の御言葉
  一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。
  三つ撚りの糸は簡単には切れない。
                           伝道者の書 4章12節

どこからともなく「友達100人できるかな?」という歌がよく聞こえていましたこの時期、最近では、友だちは何人かで良い、確かな友達関係、親友を持つ方が良いと言われているそうです。コロナを経てもその関り方が変化していますが大切にしたい関係です

Ⅰ.サウル、妬みから殺意へ     (18章)

巨人ゴリアテとの一騎打ちを迫られ、恐れるイラエル軍は、少年ダビデの信仰によって大勝利を収め、「すべての国は、イスラエルに神がおられることを知る」と宣言します。王サウルはダビデを「兵」としても召し抱え、彼なしには戦えなくなっていきました。
サウルは、民の心が自分からダビデに移っていき、「主の霊」もダビデに注がれるようになり、その心は「妬み」から、自分の王座を奪われるのではないかと「怖れ」、彼が邪魔だという「殺意」へと変わっていくのでした。ひそかにダビデを亡き者にしようとしますがうまくいかず、彼は息子ヨナタンや家来たちに「殺す」ことを公言するのでした。
この殺意は、主イエスの誕生当時の王ヘロデが、ベツレヘムの2才以下の男子を皆殺しにしたのと同じです。いつの時代も虚偽は真理を抹殺しようとします。私たちの信仰が真理である限り、信仰ゆえに世に憎まれたり、辱められたりすることを覚えましょう。

Ⅱ.自分自身のように愛する友情     (19章)

一方サウルの息子ヨナタンは、ダビデがゴリアテに勝利した、その信仰に深く感動していました。彼もかつて主による勝利を経験していたからです。同じ主を信じる者として、ヨナタンの心はダビデの心に結び付き(18章1節)、彼はダビデを自分自身のように愛したのです。主の御前に契約を結んだ二人は、愛し合い、主にある深い友情で結ばれました。同じ信仰=無から有を引き出す信仰、神の愛と義を知る信仰によって…でした。
ヨナタンは父サウルの殺意を聞いて、ダビデに急いで身を隠すように言います。また、罪を犯そうとしている父を諫め、ダビデのことを必死にとりなします。サウルは息子の言うことを受け入れ、「殺すのはやめよう」と決心しますが、戦いに勝利するダビデを見るたびに殺意は燃上がるのでした。その度に主はダビデを守ってくださいましたが、その苦しみ、過酷さをヨナタンに訴えます。ヨナタンは父の手のわざを知りショック受けます。が、父は父です、心は揺れます。ダビデはサウルの心を明らかにするために一つの提案をし、その結果を見ることにしました。

Ⅲ.神によって結ばれる「永遠の契約」     (20章)

ヨナタンは、やはり父の決心が固いことを知ります。野に出て、先にダビデと約束していた「合図」を送りました。ダビデは、ヨナタンが自分の命を守るために、父以上の愛を示してくれることを知り、彼の前に出てきて地にひれ伏し、三度礼をします。ヨナタンは、主がダビデを守られることを信じ、主の平安のうちにダビデを送り出します。二人は主が二人と、それぞれの子孫との間に結ばれた契約の永遠の証人であることを再確認したうえで別れるのでした。ダビデにとってヨナタンの支えは永遠のものでした。たとえ離れていても「信友」は、共に神の祝福を見ることになるのでした(Ⅱサムエル9章)。

結 論

私たちの戦いは困難であっても、助け人によって支えられ、力を得ます。人と人との間に入ってくださる主の力によって結び合わされた「信仰の友=信友」は個人的な助けにとどまらず、主の働きのために欠かせない存在です。私たちを「友」と呼んでくださる主の深い愛を覚えつつ、お互いが「信友」の存在とならせていただきましょう。共に助け主なる主を礼拝し、新しい力に満たしていただきましょう。

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