2025年3月30日主日礼拝メッセージ 「悪に打ち勝つ力」 

メッセンジャー:仁科宣雄師

目次

「悪に打ち勝つ力」                 (サムエル記第一 24章~26章)

本日の御言葉
  悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
                        ローマ人への手紙 12章21節

「目には目を、歯には歯を」、理由があるから復習する、当然の心情です。世界のあらゆる組織において、「組織」が正しく人を育てられないことを耳にしますが、それが人間の限界です。神の正しい審判こそ公平で、同時に愛が伴っていることを覚えましょう.

Ⅰ.復讐のチャンスを退けるダビデ

妬みと憎しみに燃えるサウルの殺意は執拗に続きます。ダビデは放浪、洞穴に住む生活を強いられ、その心の苦しみを叫んでいます(詩篇57,142篇)が、危機迫る中にあって、ダビデは、サウルに手をかけるチャンスが2度も訪れます。
①24章…ダビデたちが洞窟で隠れていたところに、サウルが一人で入ってきて休息しました。背後から襲うチャンスです。先にダビデは危機一髪の状況から逃れたことで(23章)、まさに「ピンチのあとのチャンス、これは主の御心だ!」と部下たちはサウルを刺し殺すよう進言します。ダビデも一瞬、その思いでにじり寄ります。が、上着の裾を切り取ったのです。それすらも「主が油を注がれた者であるから」と、心を痛めるのでした。
②26章…ジフの荒野で、寝ているサウルのテントに忍び込みます。番兵は熟睡し、無防備、枕もとの槍で殺せるというチャンスです。しかしダビデは、主に油注がれたサウルに手をくだすことを断固として反対します。生きておられる主が必ずサウルを討たれると確信していたダビデは、神の御手にすべてを委ねたのです。
ただ、それはダビデにとって決して簡単な事ではないのです。25章では、ダビデ自身、ナバルから侮辱を受けたとして、ナバルに復讐しようと動くのです。対立する二人の間に入ってナバルの妻アビガイルが預言者的進言をもってとりなし、その思いがとどめられました。ダビデは、アビガイルに出会わせてくださった主に感謝し、さらに主ご自身がナバルを打つという結果を見て、生きて働かれる主を恐れたのです。

Ⅱ、主が見えてこないサウル  

サウルは、自分を生かしてくれたダビデの姿勢に感動し、涙を流して自分の非を認めます。1度目で、ダビデに王権を譲るとまで言っています。が、「主がとどめられた」というダビデの本意まで、理解できなかったのです。人間的な情には心を動かされても、信仰的に心を動かされることはなく、更にダビデを追撃します。2度目も非を認めつつも「主」の存在はありません。主は同じ場面を繰り返し与えて、サウルに「主の介入」を教えようと、彼を取り扱おうとされているのに、「主」を見ようとはしなかったのです。ただ、私たちもサウルのように何度も同じ失敗する者です。主は、その度に主のもとに帰って来るのを待っておられるのです。

Ⅲ.善をもって悪に打ち勝たせる主の力

ダビデは決してサウルを赦したわけでも、信頼していたわけでもありません。主の正しい判断を信じて、その裁きを主に委ねたのです。決して悪をうやむやにするのではなく、罪を赦すことができない神は、その罪を公正に裁かれ、その罪の罰を自らの愛するわが子に負わせられたのです。それゆえに悪に対して主に委ねる者は、同じ悪に手をかける危険から救い出しされ、主の命に生かされるのです(26章24節)。

結  論 

キリストを信じている私たちの内には、キリストが生きておられます.感情に左右されやすい私たちですが、私たちの心の内に住み、復讐心を断ち切り、愛と希望に満ちた力強い生き方へと変えてくださる真の救い主の力を信じましょう。

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