メッセンジャー:仁科宣雄師
「契約の書に従って生きる」 (列王記第Ⅱ 22章、23章)
本日の御言葉
私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者とならないために。
詩篇 119篇11節
聖書は、旧約、新約で構成されますが、これらは「古い契約」、「新しい契約」の意味であり、「契約書」の意味からすると、神と人と、双方の合意のもとにお互いの権利と義務が約束が記されているということになります。
Ⅰ.主の宮の修理と律法の書の発見 22章
南王国ユダをアッシリアから守り導いたヒゼキヤ王の後を継いだその子マナセは、再び民を偶像礼拝へと導きました。次に王となったマナセの子アモンも父に倣い、主の目の前に悪を行いますが、彼の治世はわずか2年、家来の謀反で殺されます。そのためアモンの子ヨシヤは、わずか8歳で王となりました。ヨシヤは16歳でダビデの神を求め始め、20歳になると国内にあった高き所や異教の神々の偶像や祭壇を壊し始めました。26歳で主の宮の修理に取りかかった時、主の律法の書が発見されたのです。神殿が完成してから300年以上…、いつしか律法、神の教えが忘れ去られていたのです。律法の書の言葉を聞いたヨシヤは、長い間、自分たちが神の教えに従ってこなかったことに気づき、衣を裂き、主のみ前にへりくだって泣きました。彼はみ言葉の前に明確に罪を自覚し、悔い改めたのです。
Ⅱ.ヨシヤの宗教改革 23章1~25節
ヨシヤは主の宮にのぼり、全ての民に律法の書を読み聞かせ、「主に従って歩み、心を尽くし、命を尽くして主の命令と証しと掟とを守り、この書物に記されているこの契約のことばを実行することを誓います。(:3)」と誓約し、宗教改革を始めました。偶像礼拝を撤廃し、ヨシヤ王以前は行われていなかった徹底した過ぎ越しの祭を行いました。彼は心、魂、力のすべてをもって主に立ち返りました(:25)。このヨシヤによって、ユダは神の裁きを一時的に延期することにはなりましたが、マナセ王の罪が引き起こした主の怒りは厳しく、主の裁きそのものが取り消されることはなかったのです.
Ⅲ.人の手による改革の限界、神の御手による完全な改革
ただ、このヨシヤの改革は完全とは言えませんでした。形式的な改革に終始し、民たちの心の問題が扱われることがなかったのです。王の死後、ユダの民は再び偶像礼拝を選択し、わずか数年後にはバビロン捕囚が始まるという結果を見ます。
預言者エレミヤは、ユダ王国が外面上は律法が読まれ、燔祭がささげられたのに、「この民は、常に背いて離れていくのか、偽りを固く握って帰ってくることを拒んでいる」と神の嘆きを伝えます。自らの救いとなるべき真理(=神のことば)に真実に従わない民たちを神は突き放したのです。しかし、神と離れ、暗く、苦しい時を過ごす民たちに、エレミヤは希望と回復のメッセージを伝えます。神は私たちのわがままにとことんまで付き合ってくださいます。私たちのために、神は神の独り子を十字架にかけ、私たちに本当の希望、永遠の命を与えると約束をしてくださっているのです。私たちは律法を前にして、「自分は神の律法を守ることはできません。ただ、主の憐れみと救いの道を信じます」と、神にのみ、その救いの力があることを信じて、救いにあずかることこそ、神が備えていてくださる神の祝福なのです。
結 論
聖書は、救いをもたらすために神が何をしてくださったかを啓示し、救いの約束を宣言しています。私たちはこの神の真実に心を定めて、神に近づき、その神のことばに聞き従うことが求められているのです。この求めに応えて、神の備えられている、永遠に変ることのない祝福をいただいてまいりましょう。
