メッセンジャー:仁科宣雄師
「罪を救う唯一の神」 ~ヨセフへの御告げ~
(マタイの福音書1章18~25節)
今年も様々な形で「神」と呼ばれる人が生まれました。本来、神と人は本質的に違いますから、人が神になることも神が人になることもできません。しかし、神は人の理解を超えた神の力を負って神は人になることを実現されました。不可能を可能とした救い主イエスの誕生の次第を心に留めつつ、御使いのことばを聞いていきましょう。
Ⅰ.ヨセフの葛藤 (1:18~19)
マリアは、御使いのことばを信じて以来、自分の身体の変化を通して、日々神のことばの確かさを覚えたことでしょう。一方、ヨセフは何の確かさも得られないまま、苦悩する日々が続きます。律法に対して正しく生きていた彼は、自分の身の潔白はもちろん、自分が知っているマリアを思う時、彼女の不貞を疑うこともできません。彼女の妊娠が「聖霊」によるものと知っていたかどうか分かりませんが、疑いの渦に巻き込まれていく中で、隠し通せないこの事実を前にヨセフは、マリアの妊娠を公にしてさらし者にして石打で処刑するか、離縁状を渡すかの二つに一つと考え、ひそかに離縁しようと決めたのです。
Ⅱ.御使いのお告げ (1:20~23)
彼の決断は、不貞を犯したと思われるマリアを妻に迎えることは律法違反になるのではないかと恐れがあったからでしょう。その恐れを知る御使いが、彼の夢に現れ「その子が聖霊によるものである」と断言し、マリアは不貞を働いてはいない、「安心してマリアを妻として迎えなさい」と思いもよらない3つ目の選択肢を示したのです。 当時のユダヤ人が見えない神の霊である「聖霊」の働きについて考えることは、 ①神の「真理」を人に伝えるもの…人々にとって目に見えない神の真の姿は暗中模索の ような状況でした。神がイエスという人の形をとられて初めて神の心が見えるようになり、「罪」の基準が示され、同時に真の人間のあるべき姿、真の善と神の意志への服従を見るのです。人は無知のために盲目であり、心も目も、罪のために暗くなっていますが、イエスが私たちの目を開いて真理を認めさせる力をお持ちなのです。私たちが見 るべき自分の「罪」を示し、行うべき「善」を正しく導くためにイエスは来られたのです。 ②神の霊を創造の業に加えて「再創造の業」をおこなうもの…聖霊なるイエスによって、生命を再現し、再創造する力が世に来たのです。イエスは罪に死ぬべき魂をよみがえらせます。彼は死滅した理想を復活させ、消滅した善への意志を蘇らせます。「生きる」意味を見失った人に、彼にあって新しい人生を発見することができるのです。 さらに御使いは、こうして生れ出る子の名前は「イエス」、ご自分の民を罪から救うお方であると伝えました。イエスこそ、イスラエルの民がずっと待ち望んでいた救い主であり、すべての人の罪を十字架によって背負い、赦し、罪から解放する唯一の救い主です。
Ⅲ.ヨセフの信仰による決断(1:24~25)
ヨセフは、目の前の事実さえ信じることが難しい状況の中で、御使いのことばを本気で受け止め、自分たちによって「新しい契約(エレミヤ31:33)の成就」が進められることを信じて、神に従う決心をしました。二人の背負うものは大きなものだったでしょう。彼らへの周囲の非難や嘲笑など、戦いの日々だったでしょう。そして臨月を迎えた二人に、過酷な勅令が出ますが、人としての務めを全うしながら、幼子イエスは誕生したのです。
結 論
人の罪の姿は「戦い」です。決して大きな戦いだけでなく、自分の心にある戦いにも目を向け、罪に満ちたこの世に私たちと共に住み、永遠の滅びから救うためにお生れくださる「インマヌエルなる主イエス」を私の心にお迎えしましょう。。 |