メッセンジャー:仁科宣雄師
「祈りに応えられる神」 (列王記第Ⅱ 19章1~19節)
本日の御言葉
イスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。
列王記 第Ⅱ 19章15節
生きていくうえで様々な戦いがありますが、その戦いの意味を理解できたなら大きな収穫でしょう。最後は自分との戦いですが、自分が多くの人に、神様に愛されていることでこの戦いを勝利したと思えるなら、豊かな収穫を得たと言えるでしょう。
Ⅰ.主の目にかなう南王国ユダの王ヒゼキヤ 18章1~8節
祖父ダビデに倣い、信仰深い王の一人。彼の在位はアッシリア帝国が最盛期を迎え、ヒゼキヤ王の第6年には、北王国イスラエルがアッシリアによって滅ぼされます。ヒゼキヤ王はこの敗北を見ながら、霊的危機による混乱ととらえました。
ヒゼキヤ王は、異教の偶像だけでなく、民にとって救いの象徴でもある「青銅の蛇」をも、偶像になっていることに気づき、信仰をもってそれを砕いたのです。
Ⅱ.神を侮辱するアッシリアの王セナケリブ (18章9~37節)
多くの国々を滅ぼし、強大な軍事国家となったアッシリアは、次は南ユダだと意気込んでいます。王は使者ラブ・シャケを遣わして南ユダに降伏を勧告します。使者の言葉は神の信じて立つ者の足元をすくうような鋭い言葉でした。民たちに罵詈雑言をあびせ、「降伏すれば快適な生活を保障する」と甘い言葉を使って惑わします。
今の時代も、サタンは私たちを神から離したい一心で、神の力を疑わせ、世に従うことに魅力あることをささやき、私たちの信仰を揺さぶり、惑わしています。
Ⅲ.ヒゼキヤの祈り (19章1~19節)
(1)真の神の声を求めて…ヒゼキヤは自分が行くべき所、頼るべきお方を知っていました。「苦難と懲らしめと屈辱の日」に、「こどもが生まれようとしているのに、自分にはそれを産み出す力がない」と表現します。彼は預言者イザヤに祈りを要請し、神の声を待ち望みます。主は、「アッシリア王の言葉を恐れるな、主がご介入して、アッシリアは自分の国に引き上げる」と。続いて王の死が予告されたのです。
(2)真の神の力を確信する…確かにアッシリアは他国を廃墟とし、神々が火に投げ込まれたが、人の手のわざによる木や石にすぎなかったからだと見たのです。ヒゼキヤは、天地を造られた生ける真の神こそ自分を助けることのできるお方だと宣言します。
(3)主の真実が証しされるように…ヒゼキヤは自国の救いだけを祈るのではなく、主が与えてくださる救いを通して、地のすべての王国が主だけが神であることを知るに至るようにと祈るのでした。これは、私たちの教会、そして私自身に必要な祈りです。
イザヤは、主がヒゼキヤの祈りを確かに聞かれたことを告げました。(21∼28節)アッシリアが自負している彼らの軍事行動はみな、神が計画されたものであること。(29∼30節)ここ数年、まだ苦難が続くが、南王国ユダは必ず豊かな実を結ぶ。(31∼34節)エルサレムはアシリアの侵入を許さず守り、救われると。ところがこの時、ヒゼキヤは最も厳しい「死」の宣告を聞くのです。ヒゼキヤが一人壁に向かって、泣いて主の憐れみを祈り求めた時、神は15年寿命を延ばすと約束してくださいました。そして主の癒しと奇跡を見せられ、ヒゼキヤは「われらの主は生きておられる」との確信を高く掲げ、アッシリアに立ち向かうことができたのです。
結 論
私たちは「苦難と懲らしめと屈辱」を味わう時こそ、自分が本当に弱いものであり、何に頼って生きているかを知ることになります。主の前に祈る時、この時だからこその「感謝と賛美」を与えてくださいます。私たちが「祈る」存在としておかれていることは多くの人々への希望となることを確信しつつ、祈り続けていきましょう。
