メッセンジャー:仁科宣雄師
「心の内を燃やされて」 (ルカの福音書 24章13~35節)
本日の御言葉
道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で
燃えていたではないか。
ルカの福音書 24章32節
今年の目標を掲げてスタートし、早1カ月。私たちが何かをすると言うことに加えて、神様がどのように導き、何を与えようとしてくださるか、神の声を聞くことが大切です。
Ⅰ.追いついて共に歩いてくださる主
イエスが十字架の死をとげられ葬られて3日後、朝早くイエスのお墓の前でイエスのお身体がないのに驚く女性たちに、み使いが「主イエスは生きておられる」と宣言します。それを聞いた女性たちは、急いで弟子たちに知らせに行きました。しかし、イエスがよみがえられたというメッセージは、誰にも喜びをもたらさなかったのです。その話を聞いたでしょう二人の弟子がエマオに向かっていました。「神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者」と思って信じていたイエスは死んだ、いやそのお身体がない、一体どういうことだと途方にくれて都から離れようとしていたのです。イエスは、聖書の真実をわからずに恵みの座から遠ざかろうとする彼らを見過ごすことはできず、「彼らに追いついて、歩いて行かれ」、メシアが「死を突き抜けて」、「栄光に入る」と明確に記されている聖書全体を説き明かしたのです。が、二人は「目が=心の内がさえぎられていて」それがイエスだとわからなかったのです。
Ⅱ.イエスが分かった弟子たち (24章28節)
エマオに近づいた時、二人は先に進もうとするイエスを引き留めます。そして食事の時、どうした流れか客人であるイエスがパンを裂いて神を賛美し、二人に渡したその時、彼らの目が開け、イエスであることがわかったのです。同時にイエスの姿が「見えなくなった」と・・・。いなくなったのではなく、イエスが彼らの中に入り込んだ。自分の最も深いところに存在し、自分たちの中で生きておられるという深い霊的確信を得たのです。目の前のイエスが見えなくなっても、もう驚くことも悲しむこともなかったのです。私たちはこうして、信仰によってイエスが自分の内にいてくださるということを確信できることはとても感謝なことです。ただ、どこまで神と共にいたいと願っているでしょうか?改めてイエスが共にいてくださることの力、恵みを覚えましょう。
Ⅲ.燃やされた心の内 (24章32節)
同時に二人は、イエスが聖書を解き明かしてくださっていた間、心の内が燃えていたことに気が付くのです。それは後になって気づくほどの、静かな経験でした。決してカッカと熱く燃え上がり、目に見えるような変化があったのではなかったのです。しかし、この穏やかな火は人々の人生を変え、世界を変えるほど力がある「火」でした。イエスの死は失望でも絶望でもないこと、人間が罪を犯したときから計画されていた神様の救いの方法であり、原動力は愛によるもの、そしてよみがえられたイエスを信じる時、新しい命が与えられること、その説き明かしが「あなたのため」であるというイエスの思いが彼らの心の内で燃えたのです。それを受け止めるのは心の内にある「魂」です。神を思い、神の声が生きた力あることばとして聞こえるのはこの魂なのです。神の救いは「私」を造られた時から変わることなく、その完成の日まで語られ続けるのです。
結 論
私たちは毎週聖書のみ言葉を聞きますが、共におられる主が語られている言葉として信じ、感動と感謝をもって受け取りましょう。これまで学んで積み重ねた知恵と知識にとどまることなく、また、これまでの恵みを高止まりさせることなく、日ごとに新しい主の恵みを追い求め、「主」の言葉が、生きて働く力であることに感動と感謝をもって聞き従ってまいりましょう。
