メッセンジャー:仁科宣雄師
「私たちの羊飼い」 (詩篇23篇)
本日の御言葉
主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
詩篇 23篇1節
人は何によって生きているのか・・・食べること、寝ることができることは最も大切です。加えて、「喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に泣くこと」=声を出し合って、生かされている「いのち」をお互いの力とすることができる社会、私たちのことを気にかけ、呼び出しておられる神の声を聞くことができる社会がくることを願い、祈りましょう。
Ⅰ.主は私の羊飼い
古代オリエントでは「羊飼い」とは、「良い王様」のたとえであり、詩篇23篇でも、主なる神が正義と憐れみをもって人々の生活を治め、弱者を救済してくださる王としての「羊飼い」ととらえられます。自身も羊飼いであったダビデの信仰告白です。
①緑の牧場を備える羊飼い
羊の生育に適しているのは、乾燥した雨量の少ない土地でしたから、「緑の牧場」は羊飼いの手によって造られる必要がありました。私たちの背後には主イエスの細やかなご配慮が常にあることを覚えましょう。たとえどのような所であっても…です。
②「伏させる」ために万全を備える羊飼い
羊が横になって伏して寝るためには、恐れ、緊張、腹立だしさ、飢えから解放されているというはっきりとした意識がなければなりません。十分に休息することは良い羊(=子どもを産み出す)と言われるポイントであり、ひとえに羊飼いの力量となります。また、羊は「羊飼いを見る」ほど、心が休まり、安心させられると言われています。ダビデ自身、お互いの存在が安心をもたらした経験を通し、「未知のもの」「予期しないこと」に対して、主が共におられることこそが安心をもたらし力となると確信します。
Ⅱ.私は乏しいことがありません
ダビデは、羊飼いなる主によって食事も水も与えられる、自分は貧しくはない、と物質的な満足を言っているのではなく、羊のように目先のもので満足しようとする私たちに本当においしいものを教えてくださる主、どのような時にも、全てのことに対処してくださる主がいつも共にいてくださることで満足です、との告白です。
Ⅲ.願いは、主の家に住まうこと
サウル王に命を狙われ、逃げ続けたダビデでしたが、敵と戦いぬいた時に、主は食事を備えて給仕してくださるというのです。聖書独自の「王」の姿です。ダビデは、恐れと苦しみの生涯は、主の御手の中で、良いものに変えられ、主の愛に包まれてきたと告白し、信仰に立つのです。当時の羊は一度持ち主の家の牧場を出たら一年ほどは帰ってきません。その途中で群から逃げ出す羊もいます。そんな一匹を羊飼いは捜し、命を懸けて助け出し、みな揃って最初の牧場に帰れたことを喜びます。羊は群れを好む習性があります。「主は私の羊飼い」と個人的に関わってくださる主ですが、主も私たち羊が一人でいることを望んではおられません。ダビデはこのように自分を、そして、同じ群れの羊を愛し、養い育ててくださる主を信頼し、主の家(=ご臨在の中)でいつまでも共に住みたいと願いをこめて、締めくくります。
結 論
教会は、同じ主の声に導かれ、集まっている群れです。この一年も教会を支え、導いてくださいました主を「私たちの羊飼い」と告白し、心からの感謝と賛美をお捧げしましょう。そしてやがての日には天に備えられている主の家において、一同が共に喜びの声を上げられるよう、目標を高く掲げ、新しい一年へと進んでまいりましょう。
